牧師、クリスチャンに悩みを相談すると、必ずといえるほど「あなたの
ために祈らせていただきます」と言われ、声出しで祈れば即座に終わり
ます。一見問題はないとみる方もいるでしょう?いいえ(大きな声で牧師
が祈るとか(いや違うでしょ))、そんな単純ではないんですね。すでに決
まり文句や逃げに捉えられても仕方のない言葉だと思います。
祈る?それだけでしょうか?ただの、善意の押し売りにしか聞こえませ
ん。なにもあなたに祈ってもらいたいのではなく、自分で祈れますから
ね! 行動し協力して欲しいと皆さん願ったわけです。もし、人のためを
思うなら、何も口先など言わずその人のために行動に移すでしょう。
助ける力も余裕もないのなら、それをしっかり伝えるべき。断る代名詞
に神聖な”祈り”を使ってはそれは、冒涜だと思います。
確かに、祈ってもらえることは素晴らしいです、祈りは神に願いを捧げ
、神が叶えることもあります。ならば、相手に祈るからと言わないで黙
って祈ってあげてください。祈りとは、お手紙の定形文ではありません
。
余談>
※昔、母が入院中、重篤で血液が不足と言うことで、私が人にお願いを
して回った。通っていたキリスト教会の伝道師だったか、輸血が必要な
ので協力して欲しいと電話で頼んだ。すると、電話を取り次いだのは別
の方。すると奥の方からやってきた伝道師の声「なんや今頃……と声が
……。」伝道師「今は誰もいないし、協力は出来ないから、母のために
祈らせて貰いますから」とだけ言い残し、事務的に言われ電話は一方的
に切られた。
せめて伝道師が誰かに尋ねてみるなど行動して欲しかったんですが……
本当に傷ついた事実があります。もちろん、強制では無くて親切心を期
待した自分がいます。その期待は叶いませんでしたが。愚痴になるかと
思いますお聞き苦しくて許しください。
祈らせて貰うは紙一重、それだけ冷たい言葉なのだと改めて思います。
※これはヤフーニュースからの抜粋になりますが、ロシアとウクライナ
の戦争でマウナポリの現実として取り上げられた話です。
『トゥゾフさん:「皆さんは“God bless Ukraine”と祈るのはやめ
て下さい。現実的な支援をして下さい。祈っても無駄なのです。祈った
だけでは、子どもの命を救うことも、高齢者に食事を提供することもで
きない」』
(「グッド!モーニング」2022年4月5日放送分より)
ともあるように、祈らせて貰う”口だけおべんちゃら”はキリスト教徒
も今後やめませんか。
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