バイブルランドだより VOL.2
「・・・ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致に達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するのです。・・・キリストによって、・・・愛のうちに建てられるのです。・・・」
エペソ4章全体(主に13−16節)

主の御名を賛美します。
みなさん、こんにちは。今回で2度目のお便りです。
以上のエペソ4章の御言葉にチャレンジを受けます。皆さんはこの御言葉をどのように受け止め、実行に移されていますか?

完全の意味はヘブル語、ギリシャ語で「正しさ、しみもしわもないこと、全き従順さ」という意味が含まれ、始めたことを貫徹する、最後まで成し遂げるというを意味します。つまり「従い続ける」と定義でき、キリストに従い続けるおとなにどこまで成長しているでしょうか?私も痛いところをつかれ、戸惑い、どうしようもない罪深い汚れ果てた私の心を探られます。こんな私でも本当に従い続けていくことが出来ているのか、日々苦闘し祈らされています。その中にあって、恵みによってご聖霊にイエス様が私の罪のために十字架に架かって死んで下さった事、罪を悔い改め続けて、信じ続けることが出来るように導いて下さった事を、日々父なる神様に感謝出来るようにして頂いています。自分には何の力も知恵もなく、罪に向かう足がいかに早いか、正しいことに如何に鈍感かを嫌というほど教えられ、十字架のことばの意味を味わい続け、神様の力を頂いています。どのようにして、より深く聖書の神髄を理解できるのか?霊的な面では、聖書のみで充分かもしれません。こと、具体的な聖書のユダヤの背景の意味合いや、歴史的な側面の諸事情を、真に理解しながら聖書をきっちりと理解することの出来る人は、どのくらいいるのでしょうか?この思いが絶えず私から離れませんでした。神学校に行くべきか?いや行かない人はどのように聖書を66巻全て神の御言葉だと本当に理解して、聖書を楽しく読んでおられるのかと考えていました。キリスト者なら本気で聖書に書いてあること、聖書の意味合いが、「ん?」と理解に苦しむような個所に関する事は、知りたいと(思うのは当然のことと思うの私だけ?)思われない方もいるかもしれませんが、キリスト者でない方でも素朴に思うあらゆる疑問をもテ−マにして聖書から答えを得る場(パ−ク)、聖書の神髄をより良い形で、様々な角度から学べる所があってもいいのではないか?と一信徒としてずっと疑問に感じてきました。レビ記、民数記、エゼキエル書、黙示録、ユダヤ的な独特な言いまわしなど、こんな難しい記事をどのようにして皆さんは理解し納得して、聖書を平安に読んでおられるのか?と考えてきました。世界のキリスト者の力を得て、今まで得た知識を視聴覚で、例えば、一人では困難と思えるあらゆる疑問を創造論、聖書考古学、キリスト教歴史館、聖書に出てくる時代の生活習慣、考え方、建物、食物等を見て味わいたい。聖書を本物として味わってみたい。そして預言通り人として現れて下さった神様であるキリスト・イエスを体系的にもきっちりと知りたい。日本を見渡す時、神学校以外、自分の小さな周りを見渡す時、信徒にどれだけの神様を知ることをご紹介する施設があるでしょうか?日本で最も遅れているものは、教育とキリスト教会だとある方から聞きました。果たしてどうでしょうか?(幸いにして、私には聖書を真剣に教えて下さる方には恵まれていました)ご意見下さい。


私は、今見渡す限り、一番身近な家族を見てさえも、イエス・キリストに対する思いを考える時、多くの誤解したフィルタ−を通して見てしまう現実にずっと考えさせられ祈らされました。まず、キリスト教とは、外国の宗教だ。と決めつけます。次に、イエス・キリストを聖人だとは認めることが出来たとしても、本当にいたのか?実在したのかもわからない。とまで言われます。自分に何の関わりがあるのか?なぜ神様がいるのなら、こんなことが起こるのか?忙しいし、それに輪をかけて難しい話は分らん。必要ない。何の関わりがあるのか?そのような率直な意見があり、様々な心模様のフィルタ−が私たちを取り囲み、自分自身の考えの中で凝り固まっている中で、聖書を読むことに対しても、書かれた年代の背景、思想が現代と異なる事が非常に多いため、ある程度簡単な所は読み理解できます。しかし、ユダヤ的な背景を持たない、ユダヤを取巻く国の事情や歴史や、民族・宗教性も不十分な理解のまま、聖書を読みこなすことは、大変な知恵と力を要します。また、毎日を精一杯生き、日常生活に送る中で、聖書を的確に学ぶ時間を取ることは、私達日本人にとり非常に困難な業と思います。教育では、進化論を擁護し、テレビでも平然と何の問題の無いように語られています。キリスト教の歴史を見ても、まず悪い所が目に入りますし、どうしても理解できないことも沢山あります。キリスト教と言えども戦争をする国があり、キリスト教国と言えども家庭の崩壊がひどい現実を知っています。世の中を見れば見るほど、生きれば生きるほど、何が本物のなのか、真実なのかを疑いすぎて疲れ、信じるものは家族、先祖、極端な人は自分だけだと思う。それが神様を見失った生き方なのでしょうか?一般の方がキリスト教会をなかなか訪れようとも訪れにくいのを、一信徒として長年考えさせられました。キリスト教会に来づらい雰囲気があるを持たせてしまっている事かもしれまん。勿論、個人の固定概念もそれぞれ強くあり壁が山とあります。キリスト教といえども多く宗派がありますので、どうしてこんなに多くの宗派があるのかと理解できません。また、初めからどういう教会が良いなど、話題にも上りませんし、その事で前向きな議論をすることも非常にまれです。テレビの放送でアメリカのキリスト教まがいのカルト集団が集団自殺をした…。など、日本でも異端と呼ばれるキリスト教のほうが、訪問熱心に間違った聖書理解を広めていますし、キリスト教とは聖なる所で清い人が行く所と考えられています。その上、たばこやお酒もしません、という表面的な考えで理解できなく、なかなか教会に足を運ぼうとしない人々がいる事も確かです。さらに、多くの疑問、警戒心や誤解に、聖書の正しい理解とイエス・キリストの福音を公平な立場で明確に答えられる場が、果たして日本にどれだけあるのでしょうか?キリスト教の教会、学校ですら、聖書66巻すべて神の御言葉だと信じない所もあります。教会に足を運ぶ前に、多くの難関な関門が実在するのを、ただそうだと認めるだけでなく、真剣に議論をぶつけ合い、その議論を無駄としないような評価できる意見を構築し、鮮麗されたものを完成させていく場はないのでしょうか?聖書の御言葉が人生を歩む上で、「道であり、真理であり、いのちである」ヨハネ14章6節かを如何に重要かを真っ直ぐに語り、個人的な様々な疑問をも、とことんまで納得できるまで理解できる所は議論を戦わせる。各専門家からの適切なアドバイスも受けながら、広く世界を見渡せる大きな心に育てて行ける場を私自身も頂きたいし、多くの人々に適切に提供できれば、イエス・キリストに対する間違った様々なフィルタ−が取れて、本来のキリストの福音にも目を向けていくことになるのではないかと、祈らされます。VOL.1でも方向性はお書き致しました。バイブルランドが今の現状に応える場になれるよう皆様の具体的なご意見、ご支援、さらに熱いお祈りを宜しくお願い致します。

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