Quentin J. Schultze "Internet for Christians"
Chapter 7 : Publishing Your Own Web Pages
(Dr. Q's Ten Commandments for Effective Web Paged)

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クリスチャンのためのインターネット 第7章
「自分のウェブページを作る」
(効果的なウェブページのためのQ博士の十戒)


訳: 且原真木(かつはらまき)、且原美紀(かつはらみき)


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はじめに

ある日私はいつものように、さまざまなワールドワイドウェブのページの内容を眺めながら、"Yahoo"のディレクトリーをサーフィンしていました。そして、とても面白そうなところを見つけました。"Entertainment:People"の下で"Children(子ども)"に分類されているところです。

ウェブになじみのない人のために一言付け加えますと、このディレクトリー"Entertainment:People"には個人のホームページ(本の1ページ目のような、個人や団体のページの「最初」の部分をホームページと呼びます。)の情報が入っています。中には娯楽産業界の人もいますが、大多数のサイトは普通の人が作った、とても楽しい、あるいはそっけない、サイトです。さて子どもが作ったホームページはどのようなものでしょうか。

インターネットで面白いものが何かあるだろうかぐらいの気軽さでこの子どものホームページをサーフィンしてみました。そこで見たサイトは子供たちが自力で作ったもので、無邪気さ、喜び、子どもらしい熱意がいっぱいつまっていました。これらのサイトには画像や、好き嫌いなどの自己紹介、ユーモラスな写真や、詩、作文、ジョークなどがありました。


子どもたちに自分のウェブページが作れるのですから、あなたにだって作れます。自分個人のものでも、教会、超教派、その他の教会活動のものでも、何でもです。

高い芸術性を求めたり、非常に美しいページを作ることはできないかもしれませんが、シンプルで、こざっぱりした、情報を効果的に伝えるページは作ることができるでしょう。ウェブページを作るのは難しくありません。でも、画像の配置、構成、書くためのちょっとしたコツといったものは必要です。マーケティング論、倫理、コミュニケーション学、そして(もちろん)コンピュータについて少々知識があれば、大いに助けになります。6章で述べたように、ウェブページを作ることは、楽しくて、ためにもなります。家族みんなでいっしょに制作することもできます。教会活動においては、ウェブページを作成することで教会の活動を広げることになるし、働きをよりアピールし、新来会者や新しい支援者を得ることができます。ウェブページを作ること自体がすでに活動の一つといってもよいでしょう。

さらに言えば、ウェブページを作ったり、作ったものを見るのにインターネットに接続する必要もありません。ウェブブラウザ(ウェブ用のソフトウェア)と簡単な画像処理プログラムさえコンピュータに入っていれば、ウェブページを作ることができ、インターネットで見るのと同じように、作ったものを見ることができます。


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自分のウェブページをインターネットに載せることができるか?

もちろんできます!人々は毎日そうしています。ウェブは、多くの訓練をつんだ映像作家、経験豊かな文筆家、あるいはコンピュータマニアだけのものではありません。多くの人が指摘しているように、ウェブでは誰でもその作品を発表することができます。あなたの作品を、何百万人もの人に見てもらうことも可能です。のちほど簡単に述べますが、インターネット上でうまく宣伝すれば、たくさんの人に見てもらう可能性はずっと高くなります。


ウェブのおかげでコンピュータの経験がほとんどない人でも自分の作品をインターネットで簡単に発表できるようになりました。

ウェブページを実際に載せる場所としてまず考えられるのは、今自分が使っているインターネットプロバイダーのウェブサーバー(ウェブにページを「提供」するコンピュータ)です。多くのプロバイダーにおいて、加入者は無料でウェブページを掲載できるようになりつつあります。ただ残念なことに、ときどきプロバイダーのウェブページ掲載形式が規格外の場合があり、ウェブページが見にくく、カッコ悪くなってしまいます。

次にあなたやあなたの配偶者、両親や親しい友人の職場を検討してみましょう。先に"Entertainment" のディレクトリーで私が見つけた子供たちのホームページは、親の会社や大学などのウェブサーバーにおかれているものがありました。企業などの団体は、職員個人のホームページをそこのコンピュータに載せられるようにしていることがよくあります(もちろん、ビジネス情報が載っているページとは違うページにです)。そこで自分のアドレス(URL)を持つことができ、他の人は、ウェブブラウザを持っていれば、あなたの作品を「見る」ことができるのです。ちょっと前までE−メールアドレスが名刺の上でステータスシンボルになっていましたが、今ではURLがその地位を奪いつつあります。

三番目に、あなたの地域のインターネット接続プロバイダーからウェブページのためのスペースを適当な値段で買うことができるかどうか調べてみましょう。そのプロバイダーに加入していなくても買える場合が増えています。大手のパソコン通信もこの業務を始めています。費用はほとんどの場合、ほんのわずかです。

四番目に、無料か、わずかの金額で自由に使うことのできるページを備えた「フリーネット」がないかどうか調べてみましょう。このような地域社会のサイトは、学校、図書館、その他非営利の教育関係団体によって運営されていることがあります。そして地域住民が自分のウェブサイトを開いても良いようになっていることがよくあります。

最後に、地域企業とか、教会、市民団体などにウェブページを作成する見返りを期待してみましょう。そのような団体がサーバーの一定のスペースに対する代金を支払うとして、あなたがその団体のホームページを作成し、余ったスペースを自分のホームページの場所としてもらうわけです。これは結構うまくいきます。自分のホームページを自分のコンピュータで作ることができたのなら、その団体のページを作ってみせることもできるでしょう。その団体がそのページを気に入れば、たぶん後は計画どおりにいくはずです!


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ウェブ作成の基本をどうやって学ぶか?

もうウェブを使っているなら、あとはワールドワイドウェブにあるたくさんのすばらしいサイトから学んでいけばよいのです。基本的なものでも、完成されたものでも、ウェブページをどうやって作ったらよいのかを説明し、実演してくれています。ウェブには、転載自由のサイトがたくさんあり、初心者にとってもベテランにとっても役立つはずです。このようなサイトには、あなたのウェブページの出来ばえを、プロの作品並みにしてくれるソフトウェア(たとえば、画像の「背景」を取り除いて、オンラインで背景を見えなくしてくれるものなど)へのリンクも含まれています。ウェブページを作る決まり(フォーマットと言います)は、HTML(HyperText Markup Language)と言います。 サーチエンジンを使えばHTMLについていろいろな情報を得ることができます。


使っているワードプロセッサーがどんなに簡単なものであっても、ウェブページのフォーマットに準拠したページを書くことができます。

強力で高価なワープロソフトは必要ありません。むしろ高級なものはかえってトラブルのもとになることすらあります。主要なワープロソフトの中には文書を自動的にHTML形式で保存、あるいは変換してくれるものもありますが、それにはバグ(欠陥)がつき物です。そんなわけで、これからワープロあるいは画像処理ソフトの「変換」機能を使うつもりであっても、HTMLがどのようなものか知らないで済ますわけにはいきません。かいつまんで言えば、HTMLとは、文書や画像を「処理」して、ブラウザを使って見ることのできるページに変換するものです。元の文書の中に、ブラウザがどのようにページを「読んでいくか」を指示するための言葉、文字、記号などを書き込んでいきます。たとえばある文章の前に<i>と書いて、文章の後に</i>と書いておくと、ブラウザはその文章を斜字体で表示します。この"<>"は"i"が表示方法を指定するためのものであって、文章の一部ではないことをブラウザに指示します。斜め線(/)は斜字体を指定する"i"がここで終わることを意味しています。信じられないかもしれませんが、この単純な決まりが、HTMLの本質です。

書物志向の方々にとってありがたいことに、今では小さな本屋でもHTMLの基本を書いた良い本がいくらでも手に入るようになりました。本屋で「コンピュータプログラム」とか「インターネット」のセクションを探してみましょう。感心するほど明快に書かれた本もありますが、書籍はいつでも、少しばかり「遅れ」ていることが問題になります。つまり、最新のHTMLの仕様に追いついていないのです。またウェブで広く使われている「秘訣」の多くは書いてありません。

最後に、インターネットで見つけた面白いページが、どんなテクニックを使っているのかチェックすることは欠かせません。何か自分も使ってみたいと思う技法を取り入れたページを見つけたら、そのページの「ソース」を見てみましょう。「ソース」とは、そのページの元々のHTML文書それ自体のことです。「ソース表示」(インターネットエクスプローラの場合)とか「表示→文書のソース」(ネットスケープナビゲーターの場合)などのウェブブラウザの機能を使えば見ることができます。この機能を使えば、実際にどういう風にHTML文書が書かれているか見ることができ、それをメモしたり、プリントしたり、自分のコンピュータに保存したりもできます。ウェブのどんなページのソースでも見ることができるのです。ソースと(通常の)表示画面を見比べることで、ページがどのように構成されているか知ることができます。もし何かの画像を持っていれば、元の画像と自分の画像を入れ替えたページを作ってみることもできます。こういった作業は、自分のページを作る前にHTMLの形式に慣れるためにはたいへん良い方法です。


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ウェブページを作る前に他に知っておくべきことは?

大事な点のほとんどは技術的なものではありません。技術的にはまったく問題なく作られていても、実際には情報発信がうまくいっていないウェブページが何と多いことでしょうか。文章も画像も内容をうまく伝えていないどころか、文章と画像とで、全然違ったことを言っている場合さえあるのです!以下では効果的なウェブページを作るコツをいくつか述べます。


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1.ウェブサイトの目的をよく考えてデザインすること

作り始める時点で問題があることが多いのです。まずここから考えましょう。もしサイト(ページの集まり)に一貫した明確な目的がなかったら、訪れた人を混乱させ、そのサイトで言いたいことも伝わらないでしょう。目的が不明で焦点が定まらない、いいかげんなウェブページがあまりにたくさんあるため、そういうページを集めて「最悪」なウェブサイトのディレクトリーを作り始めた人もいるくらいです。こういう人たちは、「粗悪な」作品を集めることで、新しい次元のユーモアを目指しているのかも知れません。いずれにしろ、あなたのウェブサイトが、この類のディレクトリーに載せられることが無いようにしてください。


ウェブページはなによりまず内容がなければなりません。最新のコンピュータ技術を見せびらかすものでも、奇抜な画像を見せるものでも、単なるお知らせ掲示板でもないのです。

どのサイトも何か特別な内容を伝えるように作成すべきです。何か特別に主張したいことがあるとか、何か特別な情報を知らせたいとか、独自の方法で誰かの手助けができるとか、特別なイベントを人々に知らせるとか、です。

ウェブサイトのデザインは、誰がそのサイトを利用するか、ということを明確に念頭に置くことから始まります。作者の自己満足のためであってはいけません。実際には、作者の名前をページの最初に書くことが楽しみで、それだけのために作ったようなホームページが何千もあります。クリスチャンの視点からすると、自己中心的にウェブサイトをデザインするのは正しいとは思えません。むしろウェブサイトを使ってほかの人の助けとなるようなものを考えてもらいたいと思います。他の人に役立つものも、いろいろ考えられます。たとえば、霊的な書物やビデオを集めたサイトとか、クリスチャン音楽作品を買ってもらうためのフリーダイアルの電話番号を載せたもの、コンベンションや諸集会への案内、なにか重要な情報を人々に知らせるためのもの、あなたの所属している団体について人々に正しく理解してもらうためのもの、などです。


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2.利用者に何かを提供すること

ウェブに新規に参入した人にとっては普通この概念はわからないでしょう。というのも、この考え方は「ネット文化」とでも呼べる、インターネット利用者の間に浸透している価値観ないし信条から出てきているからです。そもそもインターネットは、商品を売るための媒体とは考えられてこなかったし、インターネットに接続すること自体が商売になるとは想像だにされていませんでした。インターネットはこれまでは全く非商用であって、研究と協同のための教育的なものであったのです。今では研究専用という色彩は以前ほど強くはなく、利用者も学者以外の方が多くはなりましたが、「無料・自由」の雰囲気はインターネットに今だ強く残っています。多くの会社がインターネットを使って商売をしようとして失敗したのは、このためでしょう。

ウェブ利用者は徐々に商用利用を受け入れてきてはいますが、そこには独特な不文律があります。 利用者側からの要求があるのなら、インターネットでの商売は受け入れられます。誰かに商品を売りつけようという姿勢では受け入れられません。言い換えるなら、お金を儲けるためにウェブサイトを作っても構わないけれど、他の人にそのサイトを見るように強要することは許されないのです。同じ事ですが、E−メールは頼まれた場合だけに送るべきであって、頼みもしないのに商品に関するメールを送ってはいけない、と「ネチケット」(インターネットでのエチケット)で強調されています(ネチケットについては、附録参照)。間違ってこの戒めを破った人は何千という非難のメールを受け取ることになり、インターネット用語で言うところの、「火だるま」になるのです。


原則として、ウェブサイトはそこを訪れた人が何かを得られるようにデザインされるべきです。

製品を売っても良いのですが、売るだけではなく、何か与えるものがなくてはなりません。私はこれを「与える価値」と呼んでいます。とてもクリスチャン的なことだと思いませんか。もちろん物理的な意味で実際に与えることができるのは、製品ぐらいのもので、そうすることで人々の現実の必要を満たし、多大な欲望を満足させ、より清く正しい生活に人を引き上げることもできるでしょう。しかしお店の役割を果たしているにすぎないウェブサイトで、目に見える「与える価値」がない場合、そのサイトは機能しないものです。たとえば、オンラインのカタログでは、それを見る人に何か与えるものがなくては成功しないことが広く知られています。

何年か前、私はランズエンド(Land's End)社のカタログを目にしました。これはウィスコンシン州にある衣類の通信販売の大手ですが、そのカタログには「与えるもの」がありました。私が素晴らしいと思ったのは、衣料・織物・職人・土地・祭日などに関する素敵な物語やエッセイが挿入されていた点です。これらの記事は有名な人の筆によるものもしばしばで、もはやカタログというより雑誌に近いものでした。会社はこれらの記事を客に「提供」し、客は衣類を買ってくれたのです。顧客はエッセイから知識を吸収し、またおそらく記事を楽しんだことでしょう。これはまさにウェブで生きている精神の好例です。人々に与えましょう、奪うだけではだめです(これは、どんな団体の活動にも当てはまることだと私は考えています)。

ウェブページを訪れてくれた人に何も与えるようなものがないというのなら、何かを作りましょう。精密で、とても美しい、たいへん創造的で素敵な画像でもよいでしょう(おや?まるで芸術ですね?)。あるいは聖地の考古学上の最新の研究成果を集めたものでもよいでしょう。ただし何を作るにしても、最初に指摘したポイント、つまりサイト全体の目的に関連したものでなければなりません。具体的に言えば、もし教会関係のクリップアートを売るつもりならば、そのうちのいくつかを素敵なサンプルとして提供するべきです。同じように、より良い結婚のための助けとなる本を買ってもらおうと思うのなら、実際に結婚生活の助けとなるもの、たとえばその本の一章をサンプルとして載せることが考えられます。

インターネットで「与える」ことが、どんなに意義あることかを想像してみてください。インターネットで最重要な問題かつ欠陥は、探しているトピックスが簡単に見つからないということです。すでにたくさんのディレクトリーがありますが、それ以上に多くの需要が、特に専門化したディレクトリーに対して、あります。私たちがゴスペル・コミュニケーション・ネットワークでゴスペル・フィルムのサイトを始めた時、ウェブにはクリスチャンのプロおよび大学スポーツに関するディレクトリーは一つもありませんでした。 ゴスペル・フィルム総裁のビル・ゼオリが長年プロスポーツ界でのクリスチャンの信仰に関わってきたことから、これは活動拡大のよい機会だと思われました。そこで私たちはそのようなディレクトリーを作り始め、クリスチャン選手の団体とも連絡をとり、彼らにインターネットでのサイトのスペースを提供しました。また「クリスチャン・スポーツフラッシュ・ウィークリー」という“e−zine”(インターネット用語で、オンライン雑誌のこと)も始めました。これは読者にクリスチャンスポーツ選手の最新情報を届けるものです。もちろんゴスペル・フィルムはスポーツ関係のビデオを販売したりレンタルしたりもします。またニュースのサイトを商品カタログにリンクさせたりもしています。しかし「クリスチャン・スポーツフラッシュ・ウィークリー」の目的は、ビデオを売ることが第一ではなく、クリスチャンスポーツ選手の活躍を通じてキリストが生きて働いておられることを人々に知らせ、勇気づけるのが第一の目的です。


宣伝することで人々はそのサイトに注目しますし、そのページを見てみようと思うわけですから宣伝はとても大切ですが、そのページの効果自体は、そこにある「与える価値」にかかっています。

もしあなた個人の、あるいは団体のウェブでの目的が「売ること」であっても、この原則を忘れないでください。何か割引になるものとか、無料で提供できるもの、役に立つカタログ等がないか、検討してください。ゴスペル・コミュニケーション・ネットワークのすばらしいグラフィック・デザイナーのワレン・クラマーが、神様の天地創造の場面を描いた、彼のすばらしいフルカラーの作品をいくつか私に見せてくれたことがありました。それはもちろん聖書の記述に基づいた上に、彼の想像力を加味して、芸術的に装飾されたものです。ゴスペルフィルムの誰かが、そのすばらしい画像をスクリーンセイバーにすることを思い付きました。すぐにその作業は実行されて、ゴスペルフィルムはビデオを購入した人にみな、この高品位のスクリーンセイバーを無料で提供し始めました。コンピュータを使うクリスチャンの間で神がワレンの才能を用いてくだったことを、私たちは喜んだものでした。

あなたが他の人のために提供できるものは何ですか?ウェブ社会のクリスチャン、ノンクリスチャンのために、どんな奉仕ができますか?もちろん私たちはみな福音を分かち合うことができますし、多くのウェブサイトで、そのことが直接的に、恥じることなく実施されることを望んでいます。でも、他のこと、日々の必要や問題についてはどうでしょうか?物語、小説、短編あるいはジョークでも、好きな人がいます(クリスチャン小話サイトなんて、どうでしょうか。教会でほんとに起きたおもしろいことを集めてみるような。ゴスペル・コミュニケーション・ネットワークのホームページ

http://www.gospelcom.net

をチェックして、私たちがこれを始めたかどうかのぞいて見てください。もしまだだったら、あなたが始めましょう!)。

「与える」ことは、クリスチャンの生き方です。同時にインターネットの信条にもとてもよく合っています。


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3.サイトのどの部分も「ハイ・コンセプト」で貫かれていること

そうでなければならない理由を厳密に検討したわけではありませんが、マルチメディアであるウェブは、一つの明確な考えを伝達するために、またとないメディアであることは事実です。よい演説とか上手な宣伝がそうであるように、ウェブは、あるテーマや概念を伝えることができます。ディズニーのサイトにはたくさんのページがありますが、効果的とはいえません。統一や焦点が欠けた、まとまりのないページの集まりではだめです。最も良くできたサイトは、たとえそれが一ページのサイトであっても、ひとつの明確なアイデアがあるので、他のサイトは太刀打ちできないのです。

ウェブに通じた人々は、この事を「特化」と呼ぶこともあります。インターネット全体は言うまでもなく、ウェブだけでもとても多くの情報があるのですから、利用者は、特定の関心事に直接関係するサイトに注目を絞るだろう、といのが彼らの意見です。しかし私はウェブでのコミュニケーションを考えるときに、特化が最善の方法だとは思いません。

私が言う「ハイ・コンセプト」とは、特化の程度には関係なく、よいサイトとは何なのかを表すものです。ウェブでもっとも人気のあるサイト、たとえば「ワイヤード・マガジン」などには全然特化していないものもあります。そういったサイトは特化ではなく、特定の情報を提供し、ある種のオンラインの雰囲気、ないしは考え方(コンセプト)を提供しているのです。

「バイブル・ゲートウェー」は完璧な例と言えるでしょう。世界中のあらゆる種類の人々がここにやって来て、さまざまな言語の聖書を見ていきます。実際上ゲートウェーは、聖書を引用している何千何万というウェブページにリンクされているのです。しかしここを訪れてみると、自分がここで何を得られるのかは、はっきりしています。コンセプトが明瞭だからです。多言語での聖書。これだけです。ここには解説も、注解も、聖書物語を描いた画像もありません。たくさんの「ことば」で書かれた聖書があるだけです。コンセプトは明瞭です。すべての国語による聖書をあつめたウェブのサイト。これこそが「ハイ・コンセプト」です。


成功している商用ウェブサイト、あるいは教会のウェブサイトは、ほとんどの場合、ハイ・コンセプトです。

コーヒーのサイトは、コーヒーを売るだけではなく、コーヒーに関連したもの、リラックス、楽しさ、一体感などを提供しています。そんなサイトの一つを訪れてみると、湖を見渡せるリゾートで味わう朝食の香りがしてきそうです。「上質」とか「豊かさ」、「異国情緒」などの面からコーヒーを扱うこともできるでしょう。ハイ・コンセプトなテーマの掘り下げ方は、何通りもあるものです。今後クリスチャン出版社のウェブサイトが増えることでしょうが、ちゃんとしたコンセプトを持ってくれるでしょうか。ハイ・コンセプトの考え方に基づいて、「誠実」とか「品質」などのテーマでページを作ってくれるでしょうか。 あるいは、ぼうだいなカタログを果てしなくだらだらならべて、ウェブ利用者に乱雑な印象を与えるだけのページを作るのでしょうか。

ハイ・コンセプトを間違って追求しすぎると倫理的ジレンマに陥る危険性があります。クリスチャンは、自分のウェブサイトのコンセプトが現実を反映しているかどうか、考慮しなくてはいけません。クリスチャンが作製したものであっても、真実が歪められていることだってあります。神の国のための奉仕者としてはっきり自覚したウェブ作成者ならば、成功するウェブサイトを立ち上げる有利な立場に立っていると言えます。

最後に、ハイ・コンセプトであれば、ウェブ上で宣伝するのもたいへん容易です。明確なコンセプトがなかったら、いろいろなディレクトリーやさまざまな話題のなかで埋もれてしまうでしょう。たとえば、「クリスチャン・ユース・ミニストリー」は、教会活動の一般的な考え方にはとらわれず、情報の収集に焦点を絞りました。このため、「教育的ビデオ」とか「若者文化の情報」などといったクリスチャン以外のディレクトリーにも引用されています。クリスチャンのサイトから、より広い文化へ開かれたのです。ハイ・コンセプトがないサイト、すなわちアピールするものがないサイトは、ウェブの大海で次第に忘れられていきます。


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4.一ページ当たりのデータを制限すること

ウェブはマルチメディアコミュニケーションのためのすばらしいデジタルメディアではあるけれど、限界もあります。特にそのスピードが制限要因となっています。技術的にはもっと高速が可能であっても、多くの人はそれより遅い速度で通信しています。人々が文章と、特に画像にアクセスするスピードについては、誤った仮定に基づいてウェブのデザインがなされていることが多く見られます。「平均的な」利用者を想定してデザインすることが肝心です。というのも、最新レベルの技術を駆使できる特権的な、少数の人々より、平均的な利用者が圧倒的に大多数だからです。


ここしばらくは、他の技術的な問題より何より、モデムのスピードによってウェブページに載せられる情報量が規定されてしまいます。

多くの人がウェブで14.4kbpsのモデムを使っていますから(訳注:今では28.8kbpsも普及してきましたし、33.6kbpsも出始めました)、サイトのデザインもこのスピードに合わせるべきです。

普通のページのデザインでは、私の経験からより具体的な数値を示すことができます。画像と文章を含むページのファイル全体の大きさが70,000バイト(70k)以上だと、そのページをサーバーから読み込むのに利用者はしびれを切らすことになります。ページ当たり70k以上のデータはほとんどの場合、無意味です。自分の画像と文章がウェブファイルとしてどのくらいの大きさかチェックしてみてください。私は普段ページが70k以下になるように心がけています。

例外があります。まず、そのサイトがめったに見られないようなすばらしい画像など何か特別なものを載せている場合です。特別にすばらしいものや普通見られないものなら、利用者は待ってくれます。でもそれは利用者が、それは本当に特別だと知っている時だけです。もう一つの例外は、ある種のマルチメディア作品です。音声とビデオがよく使われています。音声やビデオをダウンロードしようとする人は、時間がかかるのを承知しています。たとえば、私がダウンロードする音声ファイルは再生時間の3倍くらいの時間がダウンロードにかかるのが普通です。つまり、20秒の音声データを得るのに1分くらいかかるわけです。もちろんビデオの場合はもっと時間がかかります。音声やビデオは適所で使っていくべきものだと思っていますが、利用者にはそのファイルがどのくらいの大きさで、「標準的な」装置と通信環境でどのくらいダウンロードに時間がかかるかを知らせておく必要があります。言い換えれば、利用者が了解した上で大きいファイルにアクセスしてもらうようにするべきであって、やたらな場所に大きなファイル(自動的に音声の挨拶が流れるような)を使わないことです。

文章だけで考えた場合、どのくらいから長すぎるということになるのでしょうか。ウェブでは「ホームページ」と言いますが、この「ページ」はほとんど、標準的なコンピュータ画面の2つ分よりも、あるいは一枚の印刷用紙よりも、長いのが実際です。一つのウェブ「ページ」で、40ページよりも長いものまで私は見たことがあります。この40ページのダウンロードには全然時間がかかりませんでした。それが全部文章だったからです。この場合、「データ」の限界は、データそのものではなく、読者がいらいらして疲れてしまうところにあります。そのページの中で何か特別なことを探している場合、40ページを読み通す気にはならないでしょう。通常、このような時は文章を短く分割して、2つ以上のページにし、話題ごとや、問題点ごとに並べます。大きな話題から細分化した話題へとつながる「樹形」モデルを取り入れて、それぞれはハイパーメディア・リンクでつなぎましょう。


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5.さまざまな素材を適切に組み合わせること

ウェブが多くの人に好まれるのは、それが文章、静止画、動画、音声などの組み合わさったマルチメディアだからです。そのうち現在主に用いられているのは文章と静止画(写真とイラスト)です。「組み合わせ」が美術において重要な要素であるように、ウェブにおいても文章と画像の適切な組み合わせが大事です。画像ばかりだったり文章が多すぎるサイトは豊かさに欠けています。

ここでも大企業のウェブサイトはこの原則を理解していないことが多い、と言わなければなりません。デザイナーは苦労して、視覚に訴えるホームページを演出しているようですが、3ページ後には、全部文章だけのサイトになってしまいます。何が起こったのでしょうか?サイトを構築する資金が尽きたのでしょうか?デザイナーが休暇を取ったのでしょうか?逆にライターの方は、最初の数ページにもっと文章を入れろと意見しなかったのでしょうか?どうしてそうなったのかはわかりませんが、実際にそうなっています。


よいウェブサイトは、全体を通して視覚効果と文章の内容がよいバランスをしています。

最初のページ、あるいは「トップ」ページで視覚効果がまさっていることはよくありますが、サイトの全体にわたって少なくともいくつかの画像が配置されているべきです。本当にすばらしいサイトでは、画像は文章で表現される特別な内容を引き立たせています。この点では、ネットセントラルにあるナッシュビルグループのすばらしいサイトを引き合いに出したいと思います。ここでは、今述べている原則がクリスチャン音楽のサイトに適用されています。視覚的な内容がそのページをとても面白いものにしていますし、過剰でごてごてした感じにはなっていません。そこでは画像は文章と何らかの関係があって使われていますし、各アーティストの雰囲気を表すのに使われています。


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6.それぞれのページをできるだけインターラクティブにすること

インターネットのワールドワイドウェブと他のメディアとの一番大きな違いは、インターラクティブかどうかという点にあるといえるでしょう。ウェブはリモートコントロールのテレビのようですが、それよりずっとインターラクティブです。テレビではいくつかのチャンネルが選局できるにすぎないのに対して、ウェブでは、何百万というページから選択できます。さらに、それぞれのページでいろいろなビデオ、音声、文章、画像などの選択肢があります。ほとんどのブラウザでは、欲しい画像だけを取り込むように前もって設定することも可能です。つまり、インターネットを文章だけでサーフィンして、文章以外の情報が欲しくなった時だけ、そういうものを取り込めばよいのです。インターラクティブという点からもっと見てみるなら、ウェブではメッセージを送ったり、オンラインのコンテストに参加したり、商品を注文したり、特定の人名や分野でウェブを検索したりもできます。本来ウェブは利用者にとってたいへんインターラクティブなものなのです。ウェブサイトをデザインする時は、このことを考慮に入れる必要があります。


インターラクティブ性について理解するには、ウェブでのコミュニケーションが「枝分かれ型」であることに注目するのも一つの方法です。

書物はほとんど「一本道」です。つまり情報は章や見出しにしたがって順番に並べられています。内容は順序立てて組み立てられていますから、途中の章や最後の章から読み始めるのは、書物の価値を否定するようなものです。一方ウェブでは「水平」方向に行ってもかまいません。どういう事からと言うと、ハイパーテキストリンクを使って関連の話題を(もとの話題をより深く掘り下げるのではなく)調べに行くこともできるのです。

たとえば、「スポーツ」についてのページを見つけたとしましょう。そこにはスポーツ選手の名前とか、個々のスポーツの種類(テニスとかゴルフとか)、スポーツチームや団体の名前などのリンクがあるでしょう。あるスポーツ選手個人の名前のリンクに入ってみましょう。そうするとそこでは、もうスポーツとは直接関係のない情報、その選手の家族だとか、住んでいる町だとかの情報を見ることができるでしょう。

このような「水平」リンクは元のテーマを掘り下げるのではなく、別の関連テーマを調べるものです。 あるページを訪れている利用者が本当はどんな興味持っているのか、ページのデザイナーは知ることができない以上、このような「水平」リンクが散りばめられているウェブサイトはよいサイトと言えるでしょう。

クリスチャン出版社であれば、ある新刊のページを作るとして、どのようにインターラクティブにすることができるでしょうか?そのサイトの目的が「こんな本が出ました」という単なるお知らせではなく、その本のテーマを広く知らせることが目的だとしましょう。そうであれば、このテーマに関係するさまざまなリンクをつけられるでしょう。インターラクティブに著者とコミュニケーションするのでもよいし、書評や推薦文の引用、本自体からの引用、著者がその本の話題について語った録音データでもよいでしょう。


ウェブのインターラクティブ性は、利用者に大きな自由度がある、という点から考えることもできます。

放送は特定の形式で一つの番組を提供するものですが、ウェブではインターラクティブに一連の選択をしていくことによって利用者はさまざまな情報を得ることができます。二人の利用者が同時に同じウェブサイトに入ったとしても、彼らはそのサイトの全然違う場所をまったく違う順序で「訪問」し、滞在時間も異なっていることでしょう。ウェブでそのような選択ができないとしたら、そのサイトが特別におもしろい内容を提供しているのでない限り、利用者はそのサイトに長く滞在してはくれないでしょう。

よいウェブサイトならば利用者の興味や必要としているものを予想し、利用者の個々の興味を追求できるような選択肢をリンクにしてサイトの中に用意しているものです。まず、そのサイト内のページ間でのリンクがあります。たとえばビデオカタログのサイトならば、ビデオの分類とか用途(教育用なのか、リクリエーション用なのか、など)のリンクを使ったり、ビデオの登場人物、ビデオ制作者や制作会社についての情報を盛り込むこともできるでしょう。どのようにビデオを使ったらより効果的かという情報や、そのビデオの質や価値がどのように評価されているかについて、リンクすることもよいでしょう。ほかのサイトへのリンクを用意して利用者の興味に答えるのも、よいサイトならば、なすべきことです。

インタビュー記事をオンラインでどのように発表したらよいか、考えてみましょう。最低なのは20ページにわたる記事をただそのまま載せることです。リンク無しの「一本道」では、大部分の利用者は、長くそのサイトを見てはくれないでしょう。モニターの画面に延々と続く文章を読むのにすぐに辟易してしまうからです。写真などの画像でページを少しばかり味付けすることはできますが、こんなことではほとんど解決にはなりません。ダウンロードにかかる時間がどんどん長くなってしまうからです。

そうではなくて、インタビューの一つ一つの質問をそれぞれハイパーテキストリンクにしたらどうでしょう?利用者はあっという間に全質問に目を通すことができますし、どの質問に対する答えの内容を読むのが一番面白そうかを決めることができます。実際のところ、既存のインタビュー集とは別の、各利用者個々がそれぞれのインタビューを構成できるわけです(この本の一章はインターネットについての質問と回答を集めたものですが、これのオンライン版は[訳注:英語原著とそのウェブサイトについてのことです]まさに今述べた様式になっています。そこでは新たな質問とその回答が随時追加されています)。画像を質問ページに添付してももちろんかまいません。また、文章の代わりにいくつかの質問に対する回答を音声で登録しておいて、利用者がそれを選択できるようにしておくことも可能でしょう。さらには、高速モデムが使える利用者で、ある質問にインタビューされた人がどう答えているかをぜひ見たいという人のためにいくつかのビデオファイルを用意しておくことも有効かもしれません。もちろんこれらは、選択肢として用意するものであって、文章がまず用意されていなければなりません。


クリスチャンは自分たちのサイトの目的を達成するために、インターラクティブ性をどのように活用できるか考えなければなりません。

たとえば、みことばを教えることを目指したサイトならば、引用聖句はみな聖書本文にリンクするようにすべきです。これは、聖句を前後のみことばとの関連の中で見る機会を保証するものです(利用者がそのみことばにあまりなじみがなく、聖書の文脈の中で理解する必要があるとした場合です)。これは、さまざまな言語の聖書を集めた「バイブル・ゲートウェー」を利用することで、簡単に実現します。また、ユース・ミニストリー(若者向けの活動)の働きがより効果的になるように支援することを目標としたサイトを想定しましょう。ウェブ上に関連情報、追加情報があるなら、それらをハイパーリンクにして自分のサイトに取り込むことができますから、既存のユース・ミニストリーのサイトですでにカバーされている情報については、それにリンクを張って、これまでのデータも利用者が利用できるような手段を講じるべきでしょう。さらにもし、コミュニケーションを大幅に向上させるようなサンプルや図、または別のメディア(オーディオテープとかビデオなど)があるなら、それらも用意すべきでしょう。

私はウェブでクリスチャン関係のディレクトリーをサーフィンしていたとき、実に上手にインターラクティブ性を取り入れたサイトに出会ったことがあります。それは教皇のエッセーのページで、教会が新しいメディア技術を使う重要性について述べたものでした。エッセーの脚注にはそれぞれハイパーリンクが設定されていて、引用された文献の全文にリンクしていました!このようなリンクを駆使すると、研究や著作がどう変化すると思いますか?


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7.ウェブサイトを個性化すること

情報自体はデジタル化され、粛々とネット上を伝達されていきますが、メディアとしてのインターネットは、きわめて個人的なメディアです。特にマルチメディアの使えるウェブは、サイトの主催者と利用者の間で親しいコミュニケーション関係を作ることが可能です。ウェブは本質的に、個人対個人のコミュニケーションメディアです。個人あるいはある個人が代表となるウェブページと、一人のコンピュータ利用者との間を取り持つのがウェブです。この事を、電話を喩えに引いて考えるのが、私は気に入っています。電話は、電話線といくつかの電気部品だけでできていて、しかも当人同士は何千キロもはなれているのですが、会話はきわめて個人的です。

個人的な電話での会話とは違う点もありますが、ウェブも基本的に個人同士のコミュニケーションに基づいたメディアです。大きな団体は個人同士のように対話はできませんから(たとえ、ウェブを使ってコミュニケーションする権利があっても)、マスメディア的なコミュニケーションはウェブにおいては不適切です。一方、アーティストなど個人で情報を発信しようとする人々にとっては、聴衆とコミュニケーションするのにたいへん力強いメディアとなります。またウェブは小規模な企業家が顧客ひとりひとりと個人的な関係を築くのによい手段を提供してくれます。教会活動においては、どんなマスメディアよりも直接的な働きかけがウェブでは可能です。ウェブは「マス」メディアではないからです。


残念なことに、個性化とは容易に堕落しやすいものでもあります。

テレビ宣教の説教者の中には、聴衆との「個人的な」関係という意味をはきちがえている者もいます。同じようににウェブを悪用した擬似的個人関係が作られる可能性もあります。これはウェブでの情報発信者が利用者より上の立場に立とうとするものです。このような悲しむべき活動を私は支持しません。このような活動は、ウェブでの「教会活動」と称されるものの中でも、すでに見受けられます。個人的関係は、それが実際に顔を合わせたりする地縁的関係に基づいているものでない場合、簡単に個人あるいは組織の自己利益的に悪用される可能性があります。

ここで私は「適正なコミュニケーション」というものを提案したいと思います。個人や組織は自分が何者であるか正直に語るよう努めてほしいものです。

次のようなことができないかどうか考えてみましょう

  1. クリスチャンの作家がウェブを使ってマルチメディア劇場とでもいうものを作り、作品の中心思想やテーマを表現する際、著作の過程での推敲なども載せる。
  2. ウェブを使うクリスチャン音楽家なら、作品の背景となる世界観や自己信条などを明らかにする。
  3. キリスト教会ならば、自分たちが何を信じているのか、何を礼拝しているのかを未信者に説明し、教会への連絡方法を伝える。
  4. キリスト教雑誌なら作者や編集者と対話できるフォーラムを運営し、その雑誌の編集方針を決めている価値観や信条を明らかにする。
  5. 宣教団体なら、その活動の結果をウェブ利用者に伝えるだけでなく、宣教のための訓練や支援体制についてもその一端を公開する。

このように適正にウェブを運用することで、クリスチャン個人ないしキリスト教団体と、ウェブ利用者の間で正しいコミュニケーションが確立するでしょう。

ウェブサイトの製作者、個人、団体に対して私が強く望むことは、インターネット上で自分たちが何者であるかをはっきりさせる、ということです。自分たちが何者で、何を信じ、なぜサイバースペースで活動しているのかを人々に明らかにすることです。仮名や誇張などインターネットで多く見られる偽のパーソナリティーではなく、うそ偽りのない存在はサイバースペースに塩と光をもたらすでしょう。自分が本当は何者であるかを告げるのに何を恐れることがありましょう。なぜ私たちはイエスキリストを思い、なぜインターネットに参加したのですか?私たちは自分たちの信仰を他の人々に充分伝えているとはまだ言えないでしょう。ウェブで活動しているまっとうなクリスチャンのグループなら、自分たちの召命、賜物、そして弱さについてはっきりと自覚していることは間違いないと思います。神をおそれているならば、自らを偽装するようなことはしないものです。


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8.サイトやページの(バーチャルな)一部分を更新すること

このことについては多くの説明は必要ないと思います。一度作成されたきり二度と更新されないサイトが何と多いことでしょう。このようなサイトには、もう一度覗いてもっとそのサイトを探ってみようと思わせるもの、あるいは、なにか価値あるものが新しく追加されるようだからまた見てみよう、と思わせるものがありません。活動が停止しているこのようなサイトでは、ウェブの利用者と製作者ないしは著者との関係は事実上断絶しています。

どうしてこのようなことが生じるのか、理由は分かります。ある団体が新しいメディアに興味を持って、インターネットに乗りだそうと決めます。作業が始まると幻滅も始まります。良質のウェブサイトを作るのは簡単ではありません。無報酬かほんのわずかな報酬のアルバイトで作業するとなるとなおさらです。サイトをとにかく完成させることだけが大事な目標となって、完成したら疲れきってしまってもうサイトを更新したり、拡張したり、改善したりはできません。さらに悪い事に、資金がなくなったサイトは、ありきたりで変化のない風景の未完成の家のように、インターネットのなかで朽ちていくのです。サイトは古くなり、初めに持っていた魅力の多くが失われます。信じてもらえるかどうかわかりませんが、実際にこのようなことが多くの会社や個人のホームぺージで起こっています。初公開の後は、全然省みられません。

ウェブ製作者に対して、厳しく言いすぎたかもしれません。完成した本や記録のように、どのサイトも自己完結したものでよいという考え方もあります。しかしこのような静的なアプローチは,インターネットの潜在能力を見逃すことになります。ウェブがバーチャルであるということは、変化できるという意味でもあります。技術が進歩し、デザイン技術が向上し、感性が洗練され、特になぜこのコミュニケーションをするのかという目的がはっきりしてくると、ウェブサイトはずっと多くの人々にずっと効果的に使ってもらえるようになります。いずれにしろ、ウェブでは試行錯誤をするのが当然で、どんどん試行錯誤してよいことになっています。そのようにして絶えず質が向上するのです。


ここでウェブサイト製作者が直面する問題は、単にウェブサイトやページの内容をどう増やそうかということではなく、そのサイトを介してのコミュニケーションをいかに定期的に更新していくか、ということになります。

ある場合には、ディレクトリーを拡張し、ページを追加し、最新の情報を提供するだけで解決するかもしれません。でもサイトをより利用者に使いやすく改良したり、視覚効果を高めたり、インターラクティブ性を増したりする場合もあるでしょう。このように情報のやり取りのしかたを変化させていくことは、特にウェブでは要求されます。変化することに充分な理由があるのなら、その変化を神は喜んでくださるでしょうし、利用者の助けとなるでしょう。


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9.サイトの全体にわたって統一感をつくりだすこと

視覚的デザインの基本を学んでいない人が何かをウェブに載せた場合、見た目が「ハリネズミ」のようにでこぼこなものを作ってしまうのは、ほとんど避け難いことです。実際この問題のために、何ページにもわたるサイトを見てまわるうちに、利用者は今何のサイトにいるのか、わからなくなってしまうようなことも生じます。驚くほどすばらしい画像があるサイトなのに、一つの画像と別の画像が調和していないような例を見ることがあります。もっと悪い場合は、画像と文章が互いに矛盾しているものもあります。たとえば、一方は軽い様子なのに、もう一方は厳粛だったりします。


ウェブサイトの制作は一種の芸術であって、科学ではありません。見た目の統一性は非常に重要であって、無視することはできません。

まずそのサイトの基本的な目的を決めます。何を、誰に、なぜ伝えようとするのか、などです。次にこの目的にかなった表現の基本形を設定します。後はこの基本表現をサイト全体にわたって維持し、統一感を失わない範囲で基本テーマをさまざまに変化させます。上手なサイトでは利用者にこの「基本テーマ」をほとんど意識させずに、統一感を「感じ」させます。

さっぱりとした単純な画像を使う方が、風変わりな画像を用いるよりずっと簡単にこの統一性を実現できます。見た目の簡潔さの中に、一つの概念、一つのメッセージ、一つの考えが内包されているのです。同一のあるいは似たアイコンを一貫して使うとか、同じ背景色や背景模様を使うとか、特別なフォントで統一することなどもできます。凝った画像はいくつもの、たがいに対立するメッセージを含むことがあります。結局よくできたサイトはどのページにおいても見た目に簡潔で、視覚表現のどれをとっても、サイトの各セクションが伝えるメッセージと調和がとれています。


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10.サイトをオンライン、他メディア双方で宣伝する

時間とお金を使ってすばらしいウェブサイトを作っても、作ったことを誰にも知らせなかったら全く何にもなりません。サイトをいろいろなディレクトリーや「新着情報」リストなどのオンラインで宣伝するだけでなく、他のあらゆる利用可能なメディアで宣伝しましょう。個人のホームページならば、友人や同僚に自分の作ったページを見てくれ、と言う以上の宣伝はしないかもしれません。しかし団体が運営するサイトなら、他のマスメディアや宣伝媒体を使って広く宣伝するのが普通です。「やあみなさん、私が何をしたか知っています?自分のホームページを持ったんです!」とか「ぼくの活動をみてくれよ、ぼく自身のホームページなんだ!」といった、エゴや名声のために宣伝するのではありません。そんなことはどうでもいいことです。なにより大切なのはホームページの内容です。

平均的なキリスト教団体なら、次のようなメディアをつかって宣伝することを考えましょう。

  1. ニュースレターや通信文書(URLアドレスとE−メールアドレスを載せる)
  2. カタログ、パンフレット。
  3. 会議、集会案内の手紙やお知らせ。
  4. 記者発表。
  5. 従業員の名刺。
  6. ラジオやテレビのスポット広告や番組などの放送(放送の最後にURLを知らせる。たとえば「インターネットワールドワイドウェブの…私たちのサイトを訪れてください。」とか「この働きについてもっと知りたい方はお手持ちのインターネットブラウザで…を見てください。」など)。
  7. おまけやプレゼントの本やビデオ。
  8. メディアによるインタビュー(レポーターにURLを教えて、このサイトを彼らの取材のために使うだけでなく記事にも載せてくれるよう頼んだり、ラジオやテレビ番組の中で言及したり)。
  9. 自分のところの製品、とくに音楽CDの解説や本などの紙媒体。今使っているすべての通信メディアをにURLを載せてみましょう。後日URLが変わるかもしれないという点は、心配におよびません。電話でも古い番号にかけてきた人に新しい番号を録音で伝えられるように、新しいURLに「転送」できるからです。


充分宣伝しなければ、あなたのウェブの仕事はインターネットでの膨大な量の情報にほとんど埋没してしまうでしょう。

あなたの所属団体をインターネットに載せるだけでも支援者や祈りのパートナー、顧客などが得られることは疑いがありません。でも今や自分たちがオンラインに載ったことを従来の友人や支援者たちに知らせれば、もっと良いことがあります。あなたが作ったものを見るために初めてインターネットに接続する人も中にはいるでしょう。またこれまでインターネットは使っていたがあなたの団体がオンラインに載ったことを知らなかった人たちは、あなたのサイトが何を載せたかを見に来るでしょう。まもなくあなたの仕事は評価され、肯定的なE−メールで励まされるでしょう。経済的援助も提供されるかもしれません。ウェブに関係した活動は、宣伝・応答と切り離すことはできません。より広く知ってもらうことで、この活動を利用してもらえる人が増え、またあなたの働きのために祈り支援してくれる人も与えられるでしょう。


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天職としてのウェブパブリッシング

インターネットのワールドワイドウェブはいろいろな意味で教会活動に新しい可能性を与えるものです。しかも他のメディアと違ってウェブは比較的お金がかからず、とても簡単です。子供たちにウェブページのデザインができるのですから、キリスト教雑誌でも、アーティストでも、福音主義の団体でも、神学校でも、出版社でも、ユースの活動でも、聖書教育の団体でも、誰であってもできます。いろいろな賜物の与えられている人々を、つまり書くこと、デザインすること、ネットワークを作ることなど、必要なさまざまな働きのできる人々を、見出さなければなりません。その中でも特に、教会のウェブ活動に常に心を配る、コミュニケーターとしての賜物を与えられた人が必要です。技術や画像だけで「ハイ・コンセプト」、なかでも一番中心のコンセプトであるイエスキリストの福音、が伝えられるわけではないからです。

この章で述べてきた内容は、団体や個人がワールドワイドウェブにホームページを作る際の相談を受けてきた私の経験から得たものです。ゴスペル・コミュニケーション・ネットワークは、効果的なミニストリーを目的とした特定なメッセージを伝えるという範囲の中で、さまざまなウェブデザインを試すことができ、特に実り豊かな場でした。この新しいデジタルコミュニケーションメディアを通してよみがえりの主がほめたたえられるよう献げられたゴスペル・コミュニケーション・ネットワークとそこに参加している団体の、有益ですばらしいご協力に感謝します。


主に栄光がありますように

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