遊ぶ金欲しさに、組には内緒で、中央市場の卸問屋の 主人を相手に、競馬・野球のノミ屋を開く。 そこで毎月500万円のあがりを稼ぎ、 23才にして家を建てた。そして28歳の若さで 約20人の子分を抱える吉田組を旗揚げした。 30才の時、バクチ場を巡る争いが原因で 大阪戦争が勃発。抗争がはじまってまもなく、 大日本正義団の初代組長であった実兄が射殺される。 すぐさま彼が2台目に就任。抗争は血で血を洗うかのように 激しくなっていく。 78年、吉田が逮捕されたことによって抗争は 下火になっていった。 大阪から遠く離れた北海道の刑務所に服役。 刑務所にいても刺客にねらわれるため、 独房に5年間入れられた。 「どうせ刑務所を出たところで、3日で殺されると思っていましたわ。」 刑を終えた83年、人目を避けるかのように、 札幌刑務所から府中刑務所に移され、吉田は釈放された。 |