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1999/04

Affliction and Comfort苦しみと慰め

神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

コリント人への手紙 第二 1:4 

人は自分に計られている計りでしか人を計ることが出来ないものである。神に捧げる祈りに「私たちの罪をお赦しください。私たちも、私たちに罪を犯す者を赦しました。」と願う祈りが聖書にある。人を赦すということは自分自身の中に赦されている体験がなければなかなか本音で出来るものではない。口では言えても心がついていかないものである。一言で人を赦すと言う事は簡単ではない、難しい問題である。自分が赦されていると口では言えても心がついてこないのと同じである。人を赦すことが出来ずに一生を過ごす人は砂の数ほどいる。正直言って俺もその一人であることを認めざるを得ない。
"ちきしょう、あの野郎、今に見とれ"、という気持ちが"赦しましょう"という丁寧な言葉を北風のように何処かへと吹き飛ばしてしまう。人生には赦せる人と赦せない人が必ず入り混じっているように思う。日本には「恨みは水に流せ、恩は石に刻め」ということわざがある。今の俺には恨みを水のように流す優しさはないが、恩はしっかり心の石に刻んでゆく有難さを持った人にはなりたいと心の底から願う。今俺には人を赦せない俺を裁かず、どうこう言わずにつきあい続けてくれる良き仲間がいる。それは俺にとって慰めである。そいつらに俺は恩を感じる。今の俺は人を赦したくない、赦せない心に苦しんでいる。しかしそのような俺と親しく交わってくれる奴らからなぜかイエスの慰めを感じさせられるような気がする。いつしかその慰めが俺の赦せない冷たい氷のような心を、太陽の暖かさのように溶かしてくれると思う。今の俺は太陽の暖かさにひたすら浸っていたい……ただ冷えた心を暖めたいのである。いつしか「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分で分からないのです。」というイエス・キリストの十字架の言葉の深さが自分にとってどのような意味があるのかを味わえる人になれるように思う。

       東が西から遠く離れているように、私たちのそむきの罪を  
       私たちから遠く離される。        
                          詩篇103編

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